2013年3月13日水曜日

住友銅吹所

自転車で心斎橋に向かう際には、松屋町筋から交通量の多い長堀通に左折せず、もう一本南側の道をよく使います。
その際、島之内の町内に入るとすぐに、かなり大きなビルとその敷地内の綺麗に管理された小さな公園が目に付きます。

大きなビル

小さな公園
その小さな公園には、土蔵のような洋風の小屋のような、言葉では表現しづらい和洋折衷の建物が建っています。

ビルの方は、三井住友銀行鰻谷センターだそうです。
公園の方はと自転車を降りて周囲を歩いてみると、ありました。
「住友銅吹所跡」という碑が。

説明の看板も銅板でしょうか?風格がありますね。
住友家が銅で財を成したということは知っていましたが、ここがその本拠地だとは知りませんでした。
しかも、日本の生産量の3分の1をここで生産していたとは驚きです。
江戸時代の大阪には、銅の精錬を行う銅吹屋や銅を扱う商人のほか、加工職人も多く住んでいたようです。
特に、この島之内周辺には銅吹所が多く、北の天満には銅細工職人が集まっていました。
長堀通は今でこそ幹線道路になっていますが、江戸時代は文字通り「堀」でした。
インゴットになった銅を運搬するのに、長堀という運河が便利だったのでしょうね。
そして、この周辺はその昔「鰻谷」と呼ばれており、名前から察するにウナギが獲れるような都市周縁部だったようです。
今でも東心斎橋あたりで「鰻谷町内会」という名の町内会がありますし、心なしか鰻屋さんも多いように思います。
銅の精錬は火を使いますし、騒音も出るでしょうから、そのような都市周縁部の新開発地に精錬所ができたのだと想像できます。
嘉永期の泉屋住友本宅図
三井住友銀行鰻谷センターの北側壁面には、上の写真のような古文書のコピーがガラスのショーケース内に飾られずらりと並べられています。
主に「鼓銅図録」という住友家が作成した銅精錬についての書物に描かれた図が展示されているのですが、それがなかなか見ごたえのあるものなのです。
銅山で採掘された銅は、山元で純度90%程度の「荒銅」に精錬され、大坂で純度99%以上にまで精錬されます。
その採掘から棹銅と呼ばれるインゴットになるまでの工程を、江戸時代の絵師によって詳しく描かれているのです。
間吹図
上の迫力ある絵を見ても、当時の精錬作業は相当危険なものだったという事がわかりますね。

公園内には当時の炉が展示されています。
銅吹所の炉
下の絵のように使われていたのでしょうか。
南蛮吹

展示されている絵図にはそれぞれ現代語の説明文もありますので、精錬の概略を知りたい方にはオススメです。
江戸時代の鎖国日本において、対オランダ貿易における銅の割合は、1757年にはなんと93%を占めていたそうです。
輸出された銅は欧州にも運ばれ、その量は1670年代に当時の欧州で最大だったスウェーデン銅の3分の1~2分の1にまで達するほどだったとのこと。
アダム・スミスの「富国論」にも「日本の銅は欧州の銅価格に影響を与えるだろう。」と指摘されています。
鎖国しているはずの日本が欧州の経済に影響を与えていたなんて。
そして、その銅がこの大坂で生産されていたのですから、天下の台所の名は伊達じゃなかったのですね。

そして、公園の東側に位置する和洋折衷の気になる建物。

瓦葺なのにドアや窓は洋風という、面白い趣きの建物です。
特に南側の入り口が面白い。

明治9年に銅吹所が廃止された後、ここは住友家の邸宅として使われたそうです。
そしてこの建物は、ビリヤード場だったのです。

説明看板によると、このビリヤード場は独立建物のビリヤード場としては、わが国最古のものだそうです。
側を通る度に面白い建築物だと思っていましたが、そのような貴重なものだったとは。

こちらの公園はとても綺麗に管理されており、日当たりも良いので、気候が良い日にはこのビリヤード場を眺め、住友家邸宅の庭園を想像しつつ、お昼を食べるのも良いかもしれませんね。

住友銅吹所跡周辺図

Google